2020年04月02日

戦いを否定しないナウシカ

Sunset.jpg
新型コロナウイルスの感染拡大によって東京都が外出自粛を求めた週末、自宅にこもって宮崎駿の漫画『風の谷のナウシカ』全7巻を二十数年ぶりに読んだ(昔はバラバラに読んだから、一気読みは初めてだった)。産業文明の崩壊から1000年後、主人公の少女ナウシカが世界の秘密を知るために旅をする物語である。ウイルスの感染拡大で気分が沈みがちなときに、この重苦しい漫画を7冊読み終わると、身も心もくたくたであった。

論語に「怪力乱神を語らず」という言葉があるが、漫画版のナウシカは「怪力乱神」だらけである。映画版はかなりディズニー寄りだが、漫画版には映画版のような軽やかさや明るさがない。廃墟、略奪、黒い森と穢れの民――。ねばねばの粘菌やら、ドロドロに腐った肉やらも頻出し、さわやかという言葉からはほど遠い。欲望も戦いも否定しないナウシカはむしろダークサイドのヒロインだ(巨神兵の母でもある)。

改めて7巻を通して読むと、正直、若いころは全体像をつかめていなかっただけでなく、重要な細部もかなり読み落としていたことがわかった。たとえば、土鬼(ドルク)という帝国の皇兄ナムリスは物語の展開に大きな影響を与えるキャラクターであると気がついた。第5巻の初め、ナムリスが皇弟に向かって発するセリフは印象深い。

「俺のおそれることはただひとつ この血を一度もたぎらせることなく終わることだ」
「管だらけになっても不死を願うお前とちがい 俺には帝国も死もどうでもいい」

このセリフには、宮崎駿の本音が表れているのではないだろうか。人工の生命であろうと自然の生命であろうと、生きようとして生きているものが生物であるという考え方だ。ナムリスは残酷で欲望のままにふるまい、一見、単純なキャラクターだが、「墓の主」や死者に奉仕するくらいなら死んだ方がましだと言わんばかりの態度が大きな問いを投げかける。それは、そもそもコントロールできないものが生物なのではないか、という問いだ。

こうした脇のキャラクターや細部が読めてくると、生命とは何かというテーマがはっきりと浮かび上がってくる。第7巻の終盤、ナウシカは「清浄と汚濁こそ生命だ」と主張し、ナムリスを上回る形で血をたぎらせるが、そうした狂気じみたシーンを違和感なく読めるのが、この作品の大きな魅力だ。読み終わった瞬間、何年かの時間をおいてもう一度読みたいと思わせる漫画である。
posted by Junichi Chiba at 20:50| 日記

2020年02月24日

アートフェアの延期

Ryo Uhida Form a.jpg
1週間前の日曜の夜、東京・汐留にあるパークホテル東京の25階エントランスに、内田涼の絵画3点を展示した。ホテル型アートフェア、ART in PARK HOTEL TOKYO (AiPHT)の予告編「AiPHT PLUS(アイファット・プラス)」への出品である。3点とはいえ展示を終えたときにはそれなりの高揚感があって、いよいよ1カ月後にはアートフェア本番だと思っていたのだが、3日後の2月19日、「フェア開催延期」の連絡が届いた。

AiPHT2020延期の理由は新型コロナウイルスの感染拡大だ。橘画廊としてこれまで30回近くアートフェアに出展してきたが、アートフェアの中止や延期に当たるのは初めてである。感染拡大が続き、ジャンルを問わずさまざまなイベントが中止されている状況では仕方がない。日本中で同じような気持ちの人たちが大勢いるのだろうなと思いながら、地下鉄の駅の近くから出展作家に延期の連絡をした。

昨年のラグビーワールドカップでは、台風の影響で1次リーグ2試合が中止になったが、イングランドのエディー・ジョーンズ監督は「ショウガナイ。台風はコントロールできない」と語っていた。20回アートフェアに出るなら、1回くらいの中止や延期はありえると考えておいた方がよいのかもしれない。今思えば、6年前、民主派デモ真最中の香港でACAS HONG KONGが中止にならなかったのはむしろ幸運だったのだろう。

AiPHT出展予定のアーティストを紹介する「AiPHT PLUS」はパークホテル東京の25階と31階で予定通り3月21日まで開かれる(会期中無休、午前11時〜午後8時)。AiPHT自体は3月下旬から9月25〜27日に延期されたが、時間ができたぶん、出展アーティストへの関心が高まってほしいと願っている。画像は内田涼の「形態aの提案(Form a)」シリーズ(2019年、アクリル、カンバス)。
posted by Junichi Chiba at 19:02| アート

2020年02月08日

科学とアート

Madoka Chiba Utopia.JPG
ギャラリー・オフグリッド(福島市)の千葉麻十佳展(2019年11月8日〜20年1月31日)最終日に、田尾陽一NPO法人ふくしま再生の会理事長と千葉麻十佳の対談があった。田尾氏は福島県飯舘村で放射線測定や農業再生などに取り組むNPOの代表であり、元物理学研究者である。対談は展覧会のテーマである「光」や千葉の作品についての話が中心だったが、私にとっては田尾氏の次の一言が印象深かった。

「原子力発電はウランの質量をエネルギーに変えている。それによってウランの質量は減る。しかし、なぜ質量が減るのかわからない」

「ウランの核分裂では、質量をエネルギーに変換するから、ウランの質量は減る」という話は何度も聞いているが、ピンときたことがない。質量がエネルギーに変わると言われても、イメージがわかなかいのだ。理屈自体もよく呑み込めず、この説に納得するかどうかは、神を信じるか信じないかの問題のように思えてしまう。そんな私から見れば、この説を完全に理解している人は別の世界の住人だ。

それだけに、物理学者が「なぜ質量が減るのかわからない」と話すのは新鮮であった。田尾氏は、質量はエネルギーと等価であるというアインシュタインの特殊相対性理論に触れていたから、なぜウランの質量が減るのか、一応の説明はできるはずだ。しかし通り一遍の説明をする代わりに、「わからない」と、おっしゃった。「わからない」とはどういう意味なのか、わからないところがまた興味深いのだ。

物理は魔術ではないかと思うような話に出会うことがときどきある。例えば最近話題の量子コンピューターに関連して、量子力学の思考実験として出てくる「シュレーディンガーの猫」の話。箱の中にいて見えない猫は生きていて、かつ死んでいる――。生きていて死んでいるというのは(スター・ウォーズの)パルパティーン皇帝みたいなもので、特殊相対性理論どころではない奇妙な説なのだが、これが成り立つらしい。

もし、こうした奇妙な説を直感的に納得させることができるとすれば、それはアートの領域だ。ただし、科学をテーマにしている限り、知識を正確に伝えることが前提であり、アートであれば不正確な表現が許されるというわけではない。対談の中で千葉は「(太陽光以外に)ガンマ線にも興味はあるが、(直感で表現して)間違えると責任重大だから軽々には扱えない」と話していた。科学者とは責任の範囲が違うとはいえ、無視できない点である。

画像は千葉麻十佳「Utopia」(2019年、LEDライト、粟、シャーレ、ポリマー)。
posted by Junichi Chiba at 20:16| アート

2020年01月22日

スター・ウォーズの原則

映画「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」を見た。シリーズ9作目にして完結編である(これで番外編の「ローグ・ワン」と「ハン・ソロ」を含め、すべてを劇場で見ることができた)。自由奔放なイマジネーションが魅力の作品だから、深刻な顔をして見ているわけではないが、それでも「スター・ウォーズ」を見るたびに学び、確認していることがある。それは人間の感情がいかに大切か、ということだ。

アナキン・スカイウォーカー(ダース・ベイダー)もルーク・スカイウォーカーも、そして新三部作のレイも、シリーズの主人公たちは皆、非凡な英雄でありながら苦悩を抱えている。そして苦悩を見透かすパルパティーン皇帝はかつてアナキンをダークサイドに転向させたように、レイに皇帝の座に就くよう強制する。こうした場面で登場人物が激情に駆られてやり合うところは、いかにもスター・ウォーズといった感じだ。

主人公たちは物体を宙に浮かせたり遠くにあるものを感じ取ったりするフォースを持っている。フォースを磨き上げる術はヨーダからルーク、ルークからレイへと伝えられたが、後の世代ほど能力の向上は早い。ヨーダとルークが合わせて900年以上もかけて蓄積した知識(ヨーダは享年900歳)をレイはまとめて受け継ぐことができたからだろう。

しかし、その怪物的な能力に感情のコントロールが追いつかない。皇帝に歯向かうべきか、それとも従うべきか。「ジェダイの復讐」(1983年)でルークが直面したのと同じ苦しみがレイを襲ってくる。新作でも「ジェダイの復讐」のクライマックスと同様、過剰なほどのエネルギーのぶつけ合いが演じられ、まるで歌舞伎のようだった。歌舞伎でなければシェイクスピアなどのバロック劇である。

すでに肉体が死んで魂だけが残っている皇帝は覚醒したレイの体を乗っ取ろうとするが、レイはそれを許さない。皇帝を阻んだのは若いレイと(悪役だったはずの)カイロ・レンの中から湧いてきた感情だった。人にとって肉体は重い荷物ではあるが、生身の体から生まれる感情が人の命を救うこともある。死んでいる者はその点で、生きている人間にかなわない。生と死が不可分なバロック劇だからこそ浮かび上がるテーマだ。

実は、レイを救済するのはドロイドのR2-D2かBB-8ではないかと、50%くらいの確率で予想していたのだが、その予想ははずれてしまった。人間が選択し、決断するというスター・ウォーズの原則を超えることは、やはりなかったのである。
posted by Junichi Chiba at 22:41| 日記