2020年12月27日

朝比奈隆と林元植

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20年近く前、大阪のザ・シンフォニーホールの楽屋で、韓国を代表する指揮者、林元植(1919〜2002年)を取材する機会があった。2001年12月に亡くなった指揮者、朝比奈隆の「お別れの会」が開かれたときだから、2002年2月7日のことだ。朝比奈が音楽総監督を務めた大フィルが舞台に上がり、林元植は岩城宏之、外山雄三、若杉弘らと順番に献奏を指揮した(舞台には朝比奈の遺影が掲げられ、献花台が置かれていた)。

林は朝比奈の唯一の弟子であり、第二次世界大戦末期から終戦後にかけて、ハルビン(満洲)で指揮の教えを受けた人物である。献奏の指揮の後、楽屋に戻った林は「たのんまっせ」と、日本語で話し始めた。韓国でも日本の新聞を読み、日本の事情をよく知っていたらしく、日本経済新聞1部の料金も知っていた。

北朝鮮の出身で4歳のときにハルビンに移住したこと、貧しい青年だったが音楽が好きで音楽家になりたかったこと、終戦後のロシア兵の悪行、クラシック音楽界の裏話……。話題は多岐にわたったが、印象深かったのは「心の底から湧いてくる気持ちを楽員に伝えるのが指揮者の役目である」という話だ。どこかの物置で指揮の手ほどきを受けながら、あるいは安酒を朝比奈に注いで音楽の話をしながら、それを学んだというのである。

林がロリン・マゼール(米国の指揮者)から聞いたという話も興味深かった。「若い指揮者はストラビンスキーなどの難しい曲でも棒の振り方を間違えないが、感情がない。まじめにやってはいるが、素質はない」。結局、林はあちらから、こちらからと表現を変えて、同じことを言っていたのだと思う。オーケストラを統率するには音楽の知識や技術だけでは不十分であるということ、それができた朝比奈は偉大だったということだ。

では、音楽の知識や技術以外に何が必要なのだろうか。いま、あえてそれを推測するなら、楽員を動かす人間力なのではないか。自治体や財界を巻き込む政治力も含まれるかもしれない。音楽自体は音の振動によって成り立つわけだから、物理の法則に則っているのだとしても、その音の振動を生み出すにはさまざまな力が必要なのだろう。

朝比奈がロシア人主体のハルビン交響楽団を指揮していたのは1944年から45年にかけてである。日本の敗戦後、ソ連軍が進駐する中、林は朝比奈と家族を1週間ほど自宅にかくまった後、「ある中国人の家を借りて、先生をそこに引っ越させた」。林の機転がなければ、朝比奈は日本に戻れず、70歳を過ぎて佳境を迎えた指揮者人生はなかったはずだ。やはり予測できない力が音楽を生み出しているのである。

林はその日演奏したバッハ「G線上のアリア」のビブラートのかけ方に朝比奈の影響があると、うれしそうに語っていたが、その年の夏、サッカーのワールドカップ日韓大会の後に帰らぬ人となった。
posted by Junichi Chiba at 19:50| 日記

2020年10月28日

負けを認めたニクソン

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映画「スター・ウォーズ」に出てくる銀河帝国のパルパティーン皇帝は、カエサルやヒトラーをモデルにしているはずだが、米国人はパルパティーンに「法と秩序の権化」といわれたニクソン(米国第37代大統領)のイメージをかぶせているらしい。現在のトランプ大統領は今年、黒人男性の死亡事件で抗議デモが広がったとき、「私は法と秩序を尊重する大統領だ」と宣言し、そのニクソンにあやかろうとした。

一方、銀河帝国と戦うレジスタンスの戦士、ルーク・スカイウォーカーには、ジョン・F・ケネディ(第35代大統領)のイメージがあるらしい。若くて、さわやかで、「忍耐強く平和の道を探ろう」(1961年の演説)と呼びかけたケネディのふるまいが、中央集権的、強権的なものに抵抗するルークのキャラクターと重なったのだろう。

もちろん政治家というのは映画のキャラクターほど単純でもなければ、わかりやすいものでもない。ケネディの父ジョセフはなかなかの悪人(密造酒の生産者)で、マフィアとの関係が深く、ケネディとニクソンが争った1960年の大統領選では、マフィアを介して大規模な不正を働いた。選挙の結果は僅差でケネディの勝利だったが、ケネディに投票した有権者は、必ずしも信念があって彼に投票した人ばかりではなかった。

「スター・ウォーズ」では、師匠のオビ=ワン・ケノービがルークに「お前の父親はフォースの暗黒面に誘惑され、アナキン・スカイウォーカーではなくなった」と説く場面があるが、ケネディの場合は初めから、自分の父親が悪人だったことを知っていたし、本人もマフィアにかかわっていた。多くの米国人はそうした事情を知らされていながら、ケネディの清新なイメージを大事にして、ケネディとルークを重ねて見ている。面白いといえば面白い話だ。

ただし私が興味を感じるのはケネディよりニクソンの方である。ニクソンは大統領選でのケネディの不正を知っていながら告発せず、負けを認めた。選挙に負けても政権を委譲しないと言うトランプ大統領とは正反対である(投開票まであと1週間!)。ニクソンは、いずれ国民は自分の政策を理解してくれると楽観していたのか、あるいはケネディの人気は長続きしないと見定めていたのか。ニクソンはウォーターゲート事件で失脚し、悪者のイメージがしみついてしまったが、大局観を持つ政治家だったのではないか、という気はする。
posted by Junichi Chiba at 00:39| 日記

2020年10月07日

パラレルワールドではない

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artTNZに出していた内田涼の新作絵画「8未満、4つの影」(画像、2020年、アクリル、カンバス、116.7×116.7センチ)の前で、「どちらが影だかわかりませんね」という感想を何回か聞いた。画面の上半分と下半分にはそれぞれ4つの形が現れているが、どちらが実体でどちらが影なのか、手がかりがなく、謎に包まれているからだ。

実は内田は、画面の下半分で即興的に形を描いている。そしてトレーシングペーパーを使ってそれらを写し取り、画面の上半分に描き直している。描く順番からすれば、下の方が実体で上の方が影だ。ところが画面の下半分は絵の具を垂らした色むらなどで行為性を強調しているのに対し、上半分にはそれがなく、色も鮮やかなため、下が影のようにも見える。実体と影の区別がつかないのがこの作品の面白いところだろう。

私自身は影を実体のもう一つの姿と考え、それらが別々に存在するパラレルワールド的なイメージを持っていた。しかしお客さんたちが上と下は一続きだと話すのを聞いているうちに、印象が変わり始めた。一緒にいた浅野綾花が「最近、村上春樹の『1Q84』を読んだ」と言ったことも影響した。影が意思を持つといった話があったのを思い出したのだ。

『1Q84』のどこかに、影とパラレルワールドのかかわりについて何か書かれていたかもしれないと気になったため、図書館に行って調べてみた。すると、宗教団体のリーダーと呼ばれる男(作中人物)が心理学者カール・ユングの説を紹介する形で、影について語る場面が見つかった(BOOKUのp. 275、276)。その場面のせりふは以下の通りだ。

「影は、われわれ人間が前向きな存在であるのと同じくらい、よこしまな存在である。我々が善良で優れた完璧な人間になろうと努めれば努めるほど、影はよこしまで破壊的になろうとする意思を明確にしていく。人が自らの容量を超えて完全になろうとするとき、影は地獄に降りて悪魔となる。なぜならばこの自然界において、人が自分自身以上のものになることは、自分自身以下のものになるのと同じくらい罪深いことであるからだ」

10年以上前に読んだ私の記憶とは若干違っていたが、影が意思を明確にするという記述はあった。この男が言う通り、影が意思を持ち、実体に影響を与えるのだとしたら、2つの世界は別々に進んでいるのではなく、つながっている。そのような世界はパラレルワールドではない。作品を前にして人と話したことをきっかけに、いろいろな目線で作品を見たりパラレルワールドについて考えたりすることができ、頭が柔らかくなった。

『1Q84』の中には、女子高生のふかえりが「マザ」(実体)であり、宗教団体にはふかえりの「ドウタ」(影)が残されているという設定もある。実体と影にそれぞれの役割があるなんて、アートや文学がなければ考えもしないことだ。ついでに、10年前に気に入っていたせりふを思い出したのも収穫だった。「すてきなギリヤークじん」
posted by Junichi Chiba at 21:11| アート

2020年09月27日

アートフェア再開

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TERRADA ART COMPLEXU(東京・天王洲)を会場として初めて開かれたアートフェア、artTNZ (9月17〜21日)は無事5日間の会期を終えた。感染症対策のための完全予約制や顔認証システムを使った入場受付など不安もなくはなかったが、会場では特に問題は起こらず、拍子抜けするほど普通にお客さまの対応ができた。

1年半ぶりにアートフェアに出て感じたのは対面でのコミュニケーションの重要性だ。初めて会った人や久しぶりに会った人とのたわいもない会話自体が楽しいし、そうした会話の時間は自身の感覚を確かめるうえで貴重な機会でもあった。自宅にこもってさまざまなウェブサイトを見ていると、「ウィズコロナ時代のアートの役割とは」みたいな記事を目にすることがある。しかしアートフェアの現場では、同業者にせよ来場者にせよ、そうした理屈っぽいことを口にする人と会うことはなく、ホッとした。

今回展示したのは、いずれも30代の芝田知佳、浅野綾花、内田涼の作品計20点。中止になったホテル型のAiPHT2020で予定していた作品をそのままスライドさせた。本当は展示場向けに構成を考え直した方がよかったのだろうが、初めて開かれるアートフェアで客層が読めないため、積極的な手を打たなかった。正直、あまり結果を期待していなかったものの、作品をお買い上げになった方全員が新規のお客さまだった。

この様子なら、展示場型であれば、感染対策をしつつアートフェアを開くことはできるだろう。課題はやはり採算である。主催者によると、artTNZの入場者数は内覧日を含む5日間で延べ2664人。1時間当たり100人に制限したため、予定通り入場者数は少なかった。感染対策のテストケースとしてならよいのだが、ビジネスとしては、入場者数がこの2倍くらいないと出展経費との見合いで採算は厳しい。

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これからリアルなアートフェアの制限が緩和されていくのか、リアルなアートフェアとオンライン販売の組み合わせに移行していくのか。イベントをまったく開催できないという危機的な状況からは抜け出し、焦点は次のステージへと移っている。

上の画像は開幕前日の橘画廊ブース(TERRADA ART COMPLEXUの3階、9月16日)、下の画像は会場入り口。
posted by Junichi Chiba at 17:36| アート