2021年06月12日

「異常」気象

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6月上旬だというのに、東京では真夏日(最高気温30度以上の日)が3日続いた。6月を飛び越して7月が来たかのような天候だ。梅雨入り前でまだ暑さに慣れていないうちに、一気にここまで暑くなると、体に負担がかかる。外で会った人が「異常気象だ」と言っていた。同感である。この時期にこんなに暑いのは「異常」だ。

しかし、涼しい部屋に戻って少し考えた。その人はもう何年も前から、猛暑のときも大雨のときも「異常気象だ」と言っているような気がする。そのたびに同意はするものの、簡単に「異常」と認めてよいのだろうか。なぜなら、ある種の気象イベントが恒例になってしまえば、それはもう異常ではないからだ。人の記憶にあることが繰り返されているなら、それは通常のことではないか。

そんなへそ曲がりなことを考えていたら、もう一つの考えが浮かんできた。そもそも気象に正常も異常もないのではないか――。例えば恐竜が生息していた時代には地球の平均気温は今より10度以上高く、逆に、何億年前だかスノーボール・アースの時代には平均気温は氷点下40度だったと聞いたことがある。地球の環境は46億年の間、絶えず変化してきたのだ。「正常な気象」は人間の都合でしかありえない。

とはいえ、再び外に出て、アスファルトの照り返しの中、坂道を登っていると、この暑さは「異常だ」と思ってしまう。地球にとって5度や10度の変化はささいなことであっても、やはり生物にとっては死活問題なのだ。しょせん自然相手に勝ち目はなく、人間は自分にとって不快な現象を「異常」と名づけてやり過ごすくらいしかできることはない。異常気象の異常は「まれな」というより「ひどい」という意味である。頭よりも体が言葉の意味を思い出させてくれることがある。
posted by Junichi Chiba at 18:03| 日記

2021年05月07日

漫画雑誌と編集者

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1960年代後半から70年代初めにかけて黄金時代を迎えた漫画雑誌「ガロ」。その元編集者が漫画家たちとの思い出をつづった『神保町「ガロ編集室」界隈』(高野慎三著、ちくま文庫)を読んだ。漫画に詳しいわけではないが、同誌に連載された白土三平の『カムイ伝』や、つげ義春の『ねじ式』が伝説の作品であることは知っていた。そうした「伝説」と編集者のかかわりに興味をひかれ、読んでみたくなったのだ。

ベトナム反戦運動、学園闘争、70年安保など「大叛乱が続発」した時代そのものが伝説に満ちている。実際にどうだったかはともかく、「エネルギッシュだった」「熱い時代だった」というイメージを(私を含めて)後の世代は持っている。だが、60年代や70年前後を神話の舞台として飾り立てることはせず、冷静さを保ちながら当時のことを淡々と振り返っているのが本書の特徴だ。

著者によれば「『ガロ』の作家の多くは、未知の読者に向けて何らかのメッセージを伝えようと作品を手がけていたわけではない。孤独と寡黙を愛する孤高の彼らは、自らの内部世界を表したかったにすぎない」。そして「彼らの作品を支持したのは、ひと握りの若者にすぎなかった」。これを読んで、今と変わらない若者たちの心情が伝わってくるとともに、60年代の実像に近づくことができたような気がした。

しかし、よくわからなかったのは、『カムイ伝』の第一部終了(71年7月)をきっかけに、人気のあった雑誌があっさり衰退に向かってしまったことだ。社会情勢の変化によって特定の作品の人気が落ちることはあるとしても、「既成のマンガの枠を脱する」ことが「ガロ」の理念なのだとしたら、なぜ別の新しい表現、作品を模索しなかったのだろうか。

その疑問を呼び起こしたのは、第3章で紹介されている漫画家、林静一の次の言葉である。「新しいマンガ雑誌出したいね。ぼくらにとっては、つげ義春以後〞というのがひとつの課題ですからね」――。「ガロ」に作品を載せていた林はなぜガロを見切ったのか。わざわざ新しい雑誌を作らなくても「ガロ」の中で新しいものを試せばよかったのではなかったか。それとも、「ガロ」は初めから、独創的なものなどたいして求めていなかったのか。著者の回想はこの本質的な疑問に答えていない。

著者がはっきりと書いていない以上、勝手に解釈するしかないのだが、最後の章にヒントらしきものがある。すなわち編集長だった長井勝一と、「ガロ」創刊後に入ってきて編集を担当した高野の「マンガ観の違い」だ。高野は「対立」という言葉を避けつつ、こう書いている。「新人マンガ家の作品を採用するさいに、お互いが遠慮がちになった。いつしか、長井さんは長井さんの好む作品を採用し、私は私で採用するという不文律ができあがっていた」

本書によると、高野は71年末、「ガロ」の出版元である青林堂を退職し、翌年、新しい漫画雑誌「夜行」を創刊した。そして林を執筆陣に加えたり「『ガロ』のボツ組」である漫画家を起用したりした。おそらく漫画の編集は人間関係が左右する部分が大きいのだろう。業務の標準化はできず、人間関係によって「想像も及ばないエネルギー」が生まれるのを待つしかないという点では、アート業界も似たようなものかもしれない。
posted by Junichi Chiba at 20:30| 日記

2021年03月29日

新しい生活様式

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大阪のホテルで朝食会場に行ったら、入口でプラスチックの透明な手袋を渡された。ビュッフェ台にあるトングの数が限られていて、たくさんの人が同じトングを使うから、感染症対策として手袋をはめてくれということだろう。何か説明されたような気もするが、はっきり覚えていない。とにかくこれは「新しい生活様式」の一つである。

ギャラリストには作品を扱うときに白い手袋をはめる人がいるが、私は基本的に手袋を使わない。2、3回やってみて、手袋をはめても作品の保護にはならないと実感したからだ。爪を切っているし、指輪はしていないし、作品の保護が目的であれば、きれいな手で直に触った方がむしろ良いのではないかと思っている。手袋をはめると、指の感覚が鈍るし、手袋の汚れが作品に付いてしまうデメリットもある。私が手袋をはめるのは、カッコつけたいときだけである。

そんな手袋嫌い(?)な私だから思うのかもしれないが、ビュッフェでの手袋にも問題はありそうだ。テーブルからビュッフェ台に向かうたびに手袋をはめるとすると、そのたびに素手で手袋の表に触れることになる。まさか医療関係者のように裏表ひっくり返して手袋を脱いだりはしないだろう。着脱の回数が多ければ多いほどリスクは増していく。

と思っていたら、驚きの光景が目に入ってきた。向かい側(といっても数メートル離れている)に座った年配の男性がプラスチックの手袋をはめたまま食事をしていたのだ。手袋を着脱すると感染のリスクが増すと考えていたのか、ただの面倒くさがりなのか、知るよしもないが、それはSF映画の一場面のようであった。パンをつかんで口に運んだ、その手袋が口に触れているようにも見えたので、その人自身は潔癖症ではなかっただろうが、これもまた「新しい生活様式」なのかと、妙に感銘を受けた。
posted by Junichi Chiba at 22:10| 日記

2021年01月25日

石岡瑛子と「落下の王国」

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東京都現代美術館(東京・江東)で開かれている展覧会「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」を見た。2012年に亡くなったデザイナー、石岡瑛子の回顧展である。資生堂やパルコの広告、オリンピックやオペラの衣装デザインなどいろいろある中で、私が一番面白いと感じたのは、石岡が衣装を手掛けた映画「落下の王国」(2006年公開、ターセム・シン監督)であった。

撮影中に負傷して半身不随となったスタントマンの青年が、病院で出会った少女に作り話を聞かせると、その少女が頭の中でどんどんイメージを膨らませていくというファンタジーだ。石岡がデザインした衣装を含めビジュアルがとても魅力的なのだが、映画の設定自体も興味深い。まったくの虚構であるにもかかわらず、少女は青年の語りに感化され、物語の中に入り込んでしまうのだ。

展示室の壁に映された映像を見ながら思い浮かべたのは、感情に影響されるあまり、現実と虚構の区別を失う現代人の姿や、そうした人たちが生み出す現実の事件のことであった。たとえば、ロシアが流したフェイクニュースをウクライナ南部(クリミア)の住民が自らSNSで拡散し、ロシアのクリミア併合を手助けした、といった出来事である。ふだん、デザイナーの展覧会で国際問題や社会問題など考えることはないのだが、この作品は映画ということもあって、思考を刺激する要素が豊富にあった。

作品中、青年が語るのは、6人の勇士が登場する「愛と復讐の物語」だ。展示解説によると、その青年が変身する黒い盗賊にはスペインの闘牛士や日本の侍などのイメージが継ぎ合わせられている。つまり石岡がデザインした衣装は異国趣味にあふれていて、こんなことを言うと不謹慎かもしれないが、どこかの国や組織が兵士の勧誘に使えそうな引力を備えている。何がこの引力を生み出したのだろうか――。そんなことを思いながら見ていると、アートとプロパガンダみたいなテーマも頭をよぎってくる。
タグ:落下の王国
posted by Junichi Chiba at 18:54| アート