2021年05月07日

漫画雑誌と編集者

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1960年代後半から70年代初めにかけて黄金時代を迎えた漫画雑誌「ガロ」。その元編集者が漫画家たちとの思い出をつづった『神保町「ガロ編集室」界隈』(高野慎三著、ちくま文庫)を読んだ。漫画に詳しいわけではないが、同誌に連載された白土三平の『カムイ伝』や、つげ義春の『ねじ式』が伝説の作品であることは知っていた。そうした「伝説」と編集者のかかわりに興味をひかれ、読んでみたくなったのだ。

ベトナム反戦運動、学園闘争、70年安保など「大叛乱が続発」した時代そのものが伝説に満ちている。実際にどうだったかはともかく、「エネルギッシュだった」「熱い時代だった」というイメージを(私を含めて)後の世代は持っている。だが、60年代や70年前後を神話の舞台として飾り立てることはせず、冷静さを保ちながら当時のことを淡々と振り返っているのが本書の特徴だ。

著者によれば「『ガロ』の作家の多くは、未知の読者に向けて何らかのメッセージを伝えようと作品を手がけていたわけではない。孤独と寡黙を愛する孤高の彼らは、自らの内部世界を表したかったにすぎない」。そして「彼らの作品を支持したのは、ひと握りの若者にすぎなかった」。これを読んで、今と変わらない若者たちの心情が伝わってくるとともに、60年代の実像に近づくことができたような気がした。

しかし、よくわからなかったのは、『カムイ伝』の第一部終了(71年7月)をきっかけに、人気のあった雑誌があっさり衰退に向かってしまったことだ。社会情勢の変化によって特定の作品の人気が落ちることはあるとしても、「既成のマンガの枠を脱する」ことが「ガロ」の理念なのだとしたら、なぜ別の新しい表現、作品を模索しなかったのだろうか。

その疑問を呼び起こしたのは、第3章で紹介されている漫画家、林静一の次の言葉である。「新しいマンガ雑誌出したいね。ぼくらにとっては、つげ義春以後〞というのがひとつの課題ですからね」――。「ガロ」に作品を載せていた林はなぜガロを見切ったのか。わざわざ新しい雑誌を作らなくても「ガロ」の中で新しいものを試せばよかったのではなかったか。それとも、「ガロ」は初めから、独創的なものなどたいして求めていなかったのか。著者の回想はこの本質的な疑問に答えていない。

著者がはっきりと書いていない以上、勝手に解釈するしかないのだが、最後の章にヒントらしきものがある。すなわち編集長だった長井勝一と、「ガロ」創刊後に入ってきて編集を担当した高野の「マンガ観の違い」だ。高野は「対立」という言葉を避けつつ、こう書いている。「新人マンガ家の作品を採用するさいに、お互いが遠慮がちになった。いつしか、長井さんは長井さんの好む作品を採用し、私は私で採用するという不文律ができあがっていた」

本書によると、高野は71年末、「ガロ」の出版元である青林堂を退職し、翌年、新しい漫画雑誌「夜行」を創刊した。そして林を執筆陣に加えたり「『ガロ』のボツ組」である漫画家を起用したりした。おそらく漫画の編集は人間関係が左右する部分が大きいのだろう。業務の標準化はできず、人間関係によって「想像も及ばないエネルギー」が生まれるのを待つしかないという点では、アート業界も似たようなものかもしれない。
posted by Junichi Chiba at 20:30| 日記

2021年03月29日

新しい生活様式

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大阪のホテルで朝食会場に行ったら、入口でプラスチックの透明な手袋を渡された。ビュッフェ台にあるトングの数が限られていて、たくさんの人が同じトングを使うから、感染症対策として手袋をはめてくれということだろう。何か説明されたような気もするが、はっきり覚えていない。とにかくこれは「新しい生活様式」の一つである。

ギャラリストには作品を扱うときに白い手袋をはめる人がいるが、私は基本的に手袋を使わない。2、3回やってみて、手袋をはめても作品の保護にはならないと実感したからだ。爪を切っているし、指輪はしていないし、作品の保護が目的であれば、きれいな手で直に触った方がむしろ良いのではないかと思っている。手袋をはめると、指の感覚が鈍るし、手袋の汚れが作品に付いてしまうデメリットもある。私が手袋をはめるのは、カッコつけたいときだけである。

そんな手袋嫌い(?)な私だから思うのかもしれないが、ビュッフェでの手袋にも問題はありそうだ。テーブルからビュッフェ台に向かうたびに手袋をはめるとすると、そのたびに素手で手袋の表に触れることになる。まさか医療関係者のように裏表ひっくり返して手袋を脱いだりはしないだろう。着脱の回数が多ければ多いほどリスクは増していく。

と思っていたら、驚きの光景が目に入ってきた。向かい側(といっても数メートル離れている)に座った年配の男性がプラスチックの手袋をはめたまま食事をしていたのだ。手袋を着脱すると感染のリスクが増すと考えていたのか、ただの面倒くさがりなのか、知るよしもないが、それはSF映画の一場面のようであった。パンをつかんで口に運んだ、その手袋が口に触れているようにも見えたので、その人自身は潔癖症ではなかっただろうが、これもまた「新しい生活様式」なのかと、妙に感銘を受けた。
posted by Junichi Chiba at 22:10| 日記

2020年12月27日

朝比奈隆と林元植

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20年近く前、大阪のザ・シンフォニーホールの楽屋で、韓国を代表する指揮者、林元植(1919〜2002年)を取材する機会があった。2001年12月に亡くなった指揮者、朝比奈隆の「お別れの会」が開かれたときだから、2002年2月7日のことだ。朝比奈が音楽総監督を務めた大フィルが舞台に上がり、林元植は岩城宏之、外山雄三、若杉弘らと順番に献奏を指揮した(舞台には朝比奈の遺影が掲げられ、献花台が置かれていた)。

林は朝比奈の唯一の弟子であり、第二次世界大戦末期から終戦後にかけて、ハルビン(満洲)で指揮の教えを受けた人物である。献奏の指揮の後、楽屋に戻った林は「たのんまっせ」と、日本語で話し始めた。韓国でも日本の新聞を読み、日本の事情をよく知っていたらしく、日本経済新聞1部の料金も知っていた。

北朝鮮の出身で4歳のときにハルビンに移住したこと、貧しい青年だったが音楽が好きで音楽家になりたかったこと、終戦後のロシア兵の悪行、クラシック音楽界の裏話……。話題は多岐にわたったが、印象深かったのは「心の底から湧いてくる気持ちを楽員に伝えるのが指揮者の役目である」という話だ。どこかの物置で指揮の手ほどきを受けながら、あるいは安酒を朝比奈に注いで音楽の話をしながら、それを学んだというのである。

林がロリン・マゼール(米国の指揮者)から聞いたという話も興味深かった。「若い指揮者はストラビンスキーなどの難しい曲でも棒の振り方を間違えないが、感情がない。まじめにやってはいるが、素質はない」。結局、林はあちらから、こちらからと表現を変えて、同じことを言っていたのだと思う。オーケストラを統率するには音楽の知識や技術だけでは不十分であるということ、それができた朝比奈は偉大だったということだ。

では、音楽の知識や技術以外に何が必要なのだろうか。いま、あえてそれを推測するなら、楽員を動かす人間力なのではないか。自治体や財界を巻き込む政治力も含まれるかもしれない。音楽自体は音の振動によって成り立つわけだから、物理の法則に則っているのだとしても、その音の振動を生み出すにはさまざまな力が必要なのだろう。

朝比奈がロシア人主体のハルビン交響楽団を指揮していたのは1944年から45年にかけてである。日本の敗戦後、ソ連軍が進駐する中、林は朝比奈と家族を1週間ほど自宅にかくまった後、「ある中国人の家を借りて、先生をそこに引っ越させた」。林の機転がなければ、朝比奈は日本に戻れず、70歳を過ぎて佳境を迎えた指揮者人生はなかったはずだ。やはり予測できない力が音楽を生み出しているのである。

林はその日演奏したバッハ「G線上のアリア」のビブラートのかけ方に朝比奈の影響があると、うれしそうに語っていたが、その年の夏、サッカーのワールドカップ日韓大会の後に帰らぬ人となった。
posted by Junichi Chiba at 19:50| 日記

2020年10月28日

負けを認めたニクソン

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映画「スター・ウォーズ」に出てくる銀河帝国のパルパティーン皇帝は、カエサルやヒトラーをモデルにしているはずだが、米国人はパルパティーンに「法と秩序の権化」といわれたニクソン(米国第37代大統領)のイメージをかぶせているらしい。現在のトランプ大統領は今年、黒人男性の死亡事件で抗議デモが広がったとき、「私は法と秩序を尊重する大統領だ」と宣言し、そのニクソンにあやかろうとした。

一方、銀河帝国と戦うレジスタンスの戦士、ルーク・スカイウォーカーには、ジョン・F・ケネディ(第35代大統領)のイメージがあるらしい。若くて、さわやかで、「忍耐強く平和の道を探ろう」(1961年の演説)と呼びかけたケネディのふるまいが、中央集権的、強権的なものに抵抗するルークのキャラクターと重なったのだろう。

もちろん政治家というのは映画のキャラクターほど単純でもなければ、わかりやすいものでもない。ケネディの父ジョセフはなかなかの悪人(密造酒の生産者)で、マフィアとの関係が深く、ケネディとニクソンが争った1960年の大統領選では、マフィアを介して大規模な不正を働いた。選挙の結果は僅差でケネディの勝利だったが、ケネディに投票した有権者は、必ずしも信念があって彼に投票した人ばかりではなかった。

「スター・ウォーズ」では、師匠のオビ=ワン・ケノービがルークに「お前の父親はフォースの暗黒面に誘惑され、アナキン・スカイウォーカーではなくなった」と説く場面があるが、ケネディの場合は初めから、自分の父親が悪人だったことを知っていたし、本人もマフィアにかかわっていた。多くの米国人はそうした事情を知らされていながら、ケネディの清新なイメージを大事にして、ケネディとルークを重ねて見ている。面白いといえば面白い話だ。

ただし私が興味を感じるのはケネディよりニクソンの方である。ニクソンは大統領選でのケネディの不正を知っていながら告発せず、負けを認めた。選挙に負けても政権を委譲しないと言うトランプ大統領とは正反対である(投開票まであと1週間!)。ニクソンは、いずれ国民は自分の政策を理解してくれると楽観していたのか、あるいはケネディの人気は長続きしないと見定めていたのか。ニクソンはウォーターゲート事件で失脚し、悪者のイメージがしみついてしまったが、大局観を持つ政治家だったのではないか、という気はする。
posted by Junichi Chiba at 00:39| 日記