2014年02月06日

ミシェル・ウェルベック『地図と領土』

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フランスの小説家、ミシェル・ウェルベックの『地図と領土』(野崎歓訳、筑摩書房)を読んだ。思いがけず美術界のスターに成り上がったアーティストの生涯を描いた小説である。ウェルベックのアーティスト観はやや古く、アート界の描写もリアルというより観念的だが、アンチ資本主義というテーマがひしひしと迫ってくる。

冒頭のシーンが印象的だ。12月のある日、主人公の若手アーティスト、ジェドは2人の有名アーティストの肖像画「ダミアン・ハーストとジェフ・クーンズ、アート市場を分けあう」をうまく描けず、いら立っている。そしてクリスマスイブに、パレットナイフを未完の作品のカンバスに突き刺し、引き裂いたうえ、踏みつけ、床にこすりつける。勝者が市場を独り占めにするようなアート界への拒否反応を示す場面だ。

しかし、そのジェドがギャラリストの勧めで個展を開くと、一夜にして「フランスで一番稼ぎのいいアーティスト」になってしまう。裕福な実業家がアート市場を支配し、「フランス革命以前の宮廷絵画の時代」に戻る中で、実業家たちの肖像を描いたことが成功の要因であった。そして、作中人物である作家のウェルベックが作品の理論的な側面を強調し、「新具象派だの何だの、ぱっとしない連中と同一視されずにすんだ」ことも大きかった。

要するにジェドは新しい分野を開拓したわけではなく、タイミングが良かったのである。登場人物のギャラリストのセリフでは、ジェドの「ダミアン・ハーストとジェフ・クーンズ、アート市場を分けあう」は「自分より豊かな同業者たちに嫉妬した二流のアーティストの作品」でしかなかった。だからその作品は「完成させなくてよかった」し、発表しなかったからこそ後に「幸運」が舞い込んできた。

おそらく著者のウェルベックは、アートはビジネス上の策略にまみれているなどと言っているのではない。アート界が資本主義の極致であるにせよ、アートは一例でしかなく、ウェルベックが表明しているのは、タイミングの良しあしによって、勝者が喜び、敗者が苦しむという仕組みへの強烈な違和感である。だからジェドは、当座預金の口座に14億ユーロ入っていても幸せではなく、ボイラーに向かって話しかけている。「勝者」はたたえられず、「敗者」はなぐさめられず、読後感は苦い。
posted by Junichi Chiba at 18:08| アート