2013年08月24日

半世紀近く前のお話

今度展覧会を開く、こじまのブコと話をしていたら、半世紀近く前の大阪の美術界の事情が少しわかって面白かった。こじまは1946年兵庫県生まれ。大阪・本町でOLをしていた19歳のころ、オフィスの近くに信濃橋画廊という貸し画廊が誕生したのをきっかけに美術に興味を持った。大阪万博を控え、日本が高度経済成長の波に乗りまくっていたときのことだ。

当時は前衛的な美術運動が盛んで、信濃橋画廊も一役買っていた。どんな存在かというと、結社のような存在だったようだ。彼女の話を聞くと、部外者から見ればなれ合いの社交場であっても関係者にとっては差し迫った人間ドラマの発生現場であるような特殊な場所のイメージが思い浮かぶ。橘画廊とは業種も違うので、直感的にわかるというわけではなく、想像できるというくらいのことではある。

同じく60年代半ば、今はない大阪厚生年金会館で、こじまは絵画教室に通い出した。講師の白髪一雄(具体美術協会でも活躍したアクションぺインター)が目当てだったらしい。初めに教室に現れた「カッコいい男性」を白髪だと思い、「こじまです。よろしくお願いします」と愛嬌をふりまいたが、「後から来た、よれよれの格好の人」が白髪だった。こじまはデッサンが苦手で、「先生、できないんですけど」と、白髪に言ったときに、「できんと思ってたわ」と言われたことをよく覚えているそうだ。

その後、こじまは廃品を制作に使うジャンクアートを始める。本人によると、デッサンができなかったためモノ自体の強さを生かす方向へと関心が移った結果であった。ジャンクアートをやりながらも精神的には白髪に師事し、白髪が比叡山延暦寺で得度したときには陣中見舞いに出かけたという話もしてくれた(仏門に入ったタイミングで慰問などできるのだろうかと思わなくもないが)。

彼女は人から勧められても、「白髪一雄に師事」とプロフィールに書くことはなかった。「具体」の内部事情などを見聞きして、現代アートの世界にも派閥があることを知ったときのショックが大きかったからだという。9月2日から14日まで、橘画廊で「こじまのブコ展 START again」を開く。昔の話に興味のある方は彼女に直接聞いてみてはいかがだろう。
posted by Junichi Chiba at 16:41| アート