2013年06月28日

パティ・スミスの冷静さ

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遅ればせながら、パティ・スミスの『ジャスト・キッズ』(にむらじゅんこ・小林薫訳、河出書房新社)を読んだ。パンクの女王パティが、写真家ロバート・メイプルソープとの出会いから別れまでをつづった青春回想録である。主な舞台は1960〜70年代のニューヨーク。20歳の夏、フィラデルフィアからニューヨークへ向かうバス代が足りず、電話ボックスに置かれていた財布からお金を抜き取った、といった悪事も含めて、数十年前の詳細なエピソードが目の前で起きているかのように語られる。

その描写がやたらと克明だ。たとえばバスに乗ったときの服装。「ダンガリーのズボンに、黒のタートルネック、それにカムデンで買った古びたグレーのレインコートを羽織っていた」――。夏にタートルネック? と思わないでもないが、映画のワンシーンのような気負った若者の旅立ちの情景が浮かんでくる。

「一体、これからどうなるのだろう? 私たちの未来はどうなるのだろう?」。そんな不安を抱いた若者でありながら、この自伝の中でパティの冷静さが失われることはない。ロバートが自分のセクシャリティーの問題で悩んでいても、かたわらにいるパティはどこかしら落ち着いている。自伝という物語の中で、若いころの自分のキャラクターを再設定したかのような突き放した視線が感じられるのだ。

しかし読み進むにつれ、こうした自らを操作する冷静さはアーティストとしての重要な資質であり、彼女は以前からそれを発揮していたことに気づかされる。大物劇作家のサムとパティが食事をする場面でこんな記述があった。「私は必死に破壊衝動を鎮め、その代わりにクリエイティブな衝動を働かせた。それでも、小さな反抗心は私の中で消えてはいない」。

破壊衝動がクリエイティブな衝動に転化しているだけなら珍しくはないが、おそらくそれだけではアーティストにはなれない。パティ・スミスはそれをコントロールできたからこそロック歌手にも詩人にもなることができたのだろう。
posted by Junichi Chiba at 23:27| 日記