2013年02月27日

きっかけは浜谷浩 竹島善一の話(下)

Takeshima6 1984,会津若松市大戸町黒森.jpg
写真家の土門拳と木村伊兵衛のどちらが好きかと竹島に聞いたら、予想通り、木村伊兵衛だという答えが返ってきた。自らが持つイメージを前面に出す土門と、強い自己主張を好まない木村。「被写体に語らせる」という竹島のスタイルは木村に通じている。そして彼は「木村伊兵衛の風流が好きなんだ」と明かす。

竹島によれば、木村伊兵衛には東京の人間の洗練された眼差しがある。その洗練がもたらすのは、甘さの持つ風流だという。「木村伊兵衛はどぶ板を踏み抜くようなことはしない。そこが限界でもある。その点、土門拳は(木村の)限界を超えた。(土門の写真集)『筑豊のこどもたち』は好き嫌いを超えた素晴らしい仕事だ」。竹島の口調から、木村と土門の2人を尊敬していることが伝わってくる。

しかし、竹島が影響を受けたのはこの2人ではなかった。若いころの彼は東京から日帰りで京都や奈良へ撮影に出かけ、古寺巡りをしたが、これはと思う被写体を見出してはいなかった。そんなときに出会ったのが浜谷浩の写真集『裏日本』(1957年)だ。厳しい気候の中でたくましく生きる人の姿を伝える写真に衝撃を受け、浜谷が撮影した豪雪地帯を訪ねてもみた。

そうして竹島は雪の降る地域へと目を向けたのである。最初は東北全体を対象にしていたが、あるとき運命の出会いがあった。1970年1月の朝、弘前から夜行列車に乗り、くたくたで郡山に到着。向かいのホームに停まっていた列車に何気なく乗って椅子に座ると、熟睡してしまった。目を覚ますと、窓の外は雪景色。列車は会津盆地を走っていた。風が吹きすさぶ沿岸部と違いふっくらと降り積もる雪と、その雪に囲まれた人々の暮らしへの興味を抑えきれず、気がつくと雪の中を歩いていた。

会津盆地ではどこへ行っても山が背景にあるため絵になりやすいが、竹島は風景よりも人間に重点を置いた。「同じ福島県でも地域によって人間の気質が違う。同じ家に住んでいても親と子では性格が違う。人間ほど面白いものはない」。結局、どんな写真を撮りたいのかではなく、興味を持つ対象を記録し伝えたいという思いが四十数年にわたる撮影の原動力なのであった。

竹島善一写真展「会津 昭和五十年代の記憶」 (前期2013年3月4日〜9日、後期3月11日〜23日、橘画廊)
posted by Junichi Chiba at 18:44| 写真