2013年02月25日

ロープさばきにしびれる 竹島善一の話(上)

Takeshima1 1982,福島県田島町針生.jpg
東京在住で40年以上にわたって福島県の奥会津をモノクロームで撮り続けている竹島善一。若いころ、現地での話し相手の多くは高齢のご婦人だった。親しみをこめて、おばあさんと呼んでもよいだろう。長年、炉端談議をこなしてきた成果で話上手の人が多く、どんな話でも屈託なく語ってくれたそうだ。

上に掲げたのは1982年(昭和57年)11月、福島県田島町針生で撮影した一枚。かごを背負ったおばあさんの体に巻きついているロープは飾りではない。竹島によると、彼女はどんなものでも一本の手製のロープできっちり縛ることができた。「ロープさばきにしびれた」と言うほどのものであった。

しかしまもなく、そうした姿を見ることはできなくなった。軽トラックに荷物を載せて運ぶのが当たり前になったからだ。竹島が毎週日曜日、夜行列車に乗って奥会津に通っていた昭和50年代、農村の生活は急速に変わった。今写しておかなければという切迫感があったからこそ、本業の制約がありながらも奥会津の撮影に没頭した。

最も変化したものは何かと、竹島に尋ねると、間髪を入れず、住宅という答えが返ってきた。ひとことで言えば、茅葺屋根の消滅だ。竹島によると、昭和50年代、東京の企業の最末端の下請け工場が会津に進出し、「農民がサラリーマン化した」。賃労働の収入のおかげで、茅葺屋根の家をトタン屋根の家に建て替える資金が生まれたのだ。茅葺民家がなくなれば集落総出の屋ほごし(解体)もなくなり、共同体の生活は大きく変わる。

Takeshima3 1979,福島県昭和村大芦.jpg
2枚目の写真(1979年8月、福島県昭和村大芦)は車に乗っている若者たちが祭りの準備に向かう場面であろう。穏やかな郷愁が漂うこの一枚には、茅葺屋根の家と茅葺きではない家が一緒に写っている。一見さりげない写真だが、今なら農村の変化の波頭をとらえた一点として見ることもできる。

農村に限らず、どんなところでも時代の移り変わりは必然だ。しかし変わっていくものの中で何を記録するか、空間のどこを切り取るかは非常に選択的な問題であり、そこに記録者の視点が生きてくる。竹島はしばしば「記録に徹する」と言うが、それは判断やセンスを必要としないという意味ではない。(続く)
posted by Junichi Chiba at 19:41| 写真