やはりこの展示は、鑑賞者の反応が気にかかる。建築家、宮本佳明の「福島第一原発神社」である(上の写真、模型製作は寺尾文秀)。福島県主催の「会津・漆の芸術祭2012」に招待され、喜多方市の大和川酒蔵北方風土館に展示されている(11月10日まで)。模型とはいえ、福島の方にとっては忌々しい存在であるはずの福島第一原発が神社として祀(まつ)られている姿をその方たちの目の前に差し出してしまったのだ。
展示会場は1929年に建てられた旧仕込蔵である。私が最初にお見かけした鑑賞者は年配のご夫婦らしき男女であった。正面から作品をじっと見つめ、無言で立ち去って行かれた。平日の午前中とあって訪れる人はまばらで、しばらくはそんな状況が続いた。
今、全国で地域のアートイベントが花盛りだが、美術館やギャラリーでの展示に一長一短があるように、アートイベントでの展示にも一長一短がある。町家や蔵などの会場は散策がてら足を運びやすい一方、鑑賞者はその地域ならではの建物に魅了され、作品の鑑賞は後回しになりがちだ。私自身、建物が醸す雰囲気に浸ることで作品を鑑賞した気になり、あれっ、今の場所、どんな作品だったかなと、後から思うことがある。
しかし「福島第一原発神社」の場合はいやでも意識のど真ん中に入ってくるだろう。むしろ、心構えなしに訪れた人の頭をいきなりガツンとたたくことになっていないか心配だ。高レベル放射性廃棄物を原発の敷地外に搬出することは不可能であるから、補修した原子炉格納容器を「水棺」化して保存するというアイデアの表明自体、恐る恐る橋を渡るようなものである。今年3月の大阪での展示からして、宮本も私も物議をかもそうと思ってやったことではないが、物議をかもすかもしれないという認識はあった。主催者の懐の深さのおかげで福島県に呼ばれ、真価を問われる日々が続いている。

ただ個人的には、会津に来て予想外のこともあった。「これ見て考えてね」的な作品が地域の健全なイベントの中で浮いているのかと思っていたら、そうでもなかったのだ。大和川酒蔵北方風土館の別の部屋には、堀浩哉+堀えりぜのインスタレーション「記憶するために−奪われた時(飯舘中学校)」があった(下の写真)。タイトルから、壁に投影されている映像は、全村非難した飯舘中学校の光景であるとわかる。その手前には、赤い漆を塗った、たくさんの鉛筆。それはこの場所での時間を奪われた子どもたちを表しているのか、先のとがった鉛筆が痛みを伝える。
日本での地域のアートイベントは街おこしが主な目的のため、キュレーターは予定調和的な作品を選ぶのが普通だが、会津ではけっこう問題を提起するような作品も出されていた。これは地域の切実さの表れだと感じている。
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