今年3月末で閉館する3331 Arts Chiyoda(東京・千代田)の最後の大型企画展を見てきた。日曜の夕方、あまり時間がなかったので駆け足で見ざるをえなかったが、たまたまレセプションの時間に当たり、統括ディレクター、中村政人さんのあいさつの一部を聞くことができた。中村さんは「3331によってアートは日常の生活の一部になった。次の10年を考えるきっかけにしてもらえれば」といった趣旨のことを話されていた。
企画展は3331の12年間の活動をたどる内容で、タイトルは「3331によって、アートは『 』に変化した」。『 』の部分には参加者それぞれが思う言葉を入れてほしい、ということのようだ。アートが何に変化したのかと言われても、すぐに言葉が浮かばない。ただ、この10年で、アートというよりもアートを取り巻く環境が大きく変わったように思う。ひょっとしたら3331の閉館はその象徴ではないだろうか。
橘画廊が入居していたとき、2階の窓から目の前の公園を眺めると、サラリーマンやOLがお弁当を食べていたり、小さな子ども連れのお母さんがくつろいでいたりするのが見えて、癒やされることがあった。そこにはゆっくりとした時間が流れているようで、正直うらやましくもあった。7年前の時点で3331の年間来場者数は85万人。以前、「3331 衝撃の数字」で書いたが、入口を通過した人を自動的にカウントしているため、この数字には、はっきりした目的もなく来場した人の数が含まれている。その来場者数の底上げに寄与していた「なんとなく来る人たち」が減っているような気がしてならない。
5、6年前の感覚的な話に過ぎないが、仕事や買い物のために秋葉原あたりまで来て、まっすぐ帰るのはもったいないから、3331にでも寄ろうかという人が一定数いたと思う。仕事中のビジネスパーソンが息抜きをするにしても、アートを鑑賞しているということであれば、さほど世間体は悪くなかったのかもしれない。

ギャラリーのスペースづくりは難しい。作品を販売するという目的が前面に出過ぎると、近寄りがたい場所になってしまい、偶然の出会いが完全に失われてしまう。だから、少し隠れ家っぽいけれど、よそよそしくはない場所をつくろうとするのだが、一般の人の側に、少し遠回りして一息つくだけの余裕がなくなってしまうと、両者はすれ違うばかりだ。
3331 Arts Chiyodaは旧練成中学校をリニューアルしたアートセンターである。竣工から44年経って老朽化しているため、大規模に改修して「恒常的な文化芸術施設」を作り直す方針が出されている。ピカピカで合理的な「文化芸術施設」にすると、都会の隙間で一息つこうという人たちはなおさら来なくなってしまうのではないか。あるいは、アートセンターでなごもうという人など、もういないのだろうか(下の写真は2016年11月撮影。このとき橘画廊では油彩画の山地咲希展を開いていた)。
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