
舞台上のスクリーンにフリーダ・カーロの絵が映り、高瀬アキのピアノの音が聴こえ始めたとき、三十数年前に訪れたメキシコの記憶がよみがえってきた。フリーダの絵には曇り空が描かれていたが、私が大学生のときに一度だけ足を踏み入れたメキシコの空も雲に覆われていたからだ。若いころに抱いた第一印象は中年になっても修正されず、いまでも私がメキシコらしさを感じるのは、曇り空が広がる陰鬱な街の風景なのだ。
もし最初に見たのが青い海であれば、それがメキシコの印象として残ったのだろうが、そうではなかった。先週、早稲田大学小野記念講堂で、小説家、多和田葉子とジャズピアニスト、高瀬アキのパフォーマンスを観ながら、三十数年前のあのイメージと何度も向き合うことになった。それは私にとって初めての海外旅行だったから、鮮烈な印象として記憶の底に残っているのだろう。音楽がそれを呼び覚ましたのかもしれない。
季節は春で、行き先はアメリカ西海岸。絵に描いたようなバックパッカーの一人旅であった。シアトルからバスでサンフランシスコ、ロサンゼルスへと南下し、サンディエゴにたどり着いた。Google MAPなどなかった時代である。メキシコとの国境が近いと聞き、歩いて国境を越え、ティファナに入った。入国審査はなかった。いつのまにか「向こう側」にいたという感じである。治安のことは何も知らず、いざとなったら野宿すればよいと、のんきに考えていた。
驚いたのは、国境を挟んだ両国の経済格差である。建物を見ても一目瞭然で、空を覆う雲が重くのしかかってくるようだった。衣料品などを扱うお店を見つけて入ってみると、若い女性の店員が気さくに話しかけてきたので少しホッとした。ポンチョのような織物を勧められ、試着したが、買いはせず、代わりにキーホルダーを一つだけ買った。米ドルで払い、お釣りをペソで受け取った。途中、女性の兄らしき若者が出てきて、アントニオ猪木の話をしたことを覚えている。
店を出てしばらくしてから、カメラがないことに気がついた。あれっ、どうしたかなと思い、振り返ると、さきほど猪木の話をした若者がカメラを持って追いかけてきた。ポンチョを試着した後、店に置きっぱなしだったらしい。その後、どうやってサンディエゴに戻ったのか覚えていないが、アメリカに入ったときに「帰還した」という気分になった記憶がある。お店でお釣りとして受け取った硬貨はいまも手元に残っている。
【日記の最新記事】