日曜日の午後8時、(チェーン店の)カフェで独り本を読んでいるとき、BGMに「グリーンスリーブス」が流れてきて、物淋しい気分にとらわれた。読んでいたのが村上春樹の『海辺のカフカ』で、しかもそれが再読だったから、回顧に拍車がかかって感傷的になってしまった。
この1年余り、村上春樹の小説をよく読んだ。『1Q84』『アフターダーク』『海辺のカフカ』『風の歌を聴け』……。ほとんど再読である。本格的に再読を始めたのは昨年10月、内田涼の絵の前で、版画家の浅野綾花と村上春樹の話をしたころだ。浅野が「最近、『1Q84』を読んだ」と言ったこと、内田の作品の中の「影」が『1Q84』に出てくる「影」とつながったことが、きっかけといえばきっかけである。
再読を進めて気がついたのは、小説の中で錯綜する「中くらいの筋」はけっこう忘れているのに、セリフなど細部は意外に覚えているということだった。たとえば『海辺のカフカ』に登場するトラック運転手の青年、星野のセリフ。
「役に立っているというのはなかなか悪くない気分だ。そんな気持ちになれたのはほとんど生まれて初めてのことだ。仕事をすっぽかして、こんなところまで来ちまって、次から次へわけのわからないことに巻き込まれているけど、俺はこうなったことをべつに後悔しちゃいない」
こういうセリフに出会うと、過去(初めて読んだとき)と現在が突然接続するような感覚に襲われる。
その星野青年と共に「入り口の石」を探すナカタと猫のカワムラの会話も味わい深い。
「クァムラ、さばなら、縛る。縛るなら、探す」
前後がなくても、このセリだけ見れば『海辺のカフカ』だとわかるし、記憶再生のスイッチが入る。
「すみません。先ほども申しましたように、ナカタはずいぶん頭が悪いので、カワムラさんのおっしゃっておられることがよくわかりません。もう一度繰り返していただけますか?」
「クァムラ、さばなら、かさる。探るなら、縛る」
何の意味もないセリフだが、その出方に意外感があって感動的だ。小さな断片の力恐るべし。
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