2021年07月25日

悪者が見えない

前回書いた通り、赤松利市の小説『アウターライズ』では、日本人を搾取者、東北人を被搾取者として描いている。そして日本のアンチテーゼとして構想されたのが東北国だった。では(小説の中で)東北国は日本が抱えている問題をどのようにして解決したのか、東北国の国民は幸福になったのか――。

ネタバレにならない程度に書くと、東北国では社会主義的な政策をとっている。たとえばベーシックインカム(最低所得保障)の導入や、住居、医療の無償提供など、十分すぎるほどの手厚い政策だ。また業種ごとにギルドがつくられていて、国民の間で所得格差はない。職を失った人間が労働意欲をなくし、ニート状態に陥っているという日本の裏返しで、劣等感によって幸福が損なわれることもないらしい。

差別や格差の問題に目を向けた小説としては小林多喜二の『蟹工船』(1929年)が有名である。船の中で奴隷のような労働を強いられた漁夫、雑夫たちがあるとき権利意識に目覚めて反転攻勢に出るという物語だ。『アウターライズ』は過酷な労働と搾取に苦しむ人たちが(独立という手段で)反撃するという点では共通している。

しかし『蟹工船』の場合、悲惨な場面が延々と続いて緊張感を強いられるが、『アウターライズ』ではアニメ声の女性首相や失言の多いコメンテーターなど漫画的なキャラクターが出てきて気楽に読むことができる。そして、『蟹工船』では資本家をはじめ、「蛇に人間の皮をきせたような奴」といわれる監督など悪者がはっきりしているのに対し、『アウターライズ』では具体的な悪者が描かれていないという点で、2つの作品は大きく異なっている。

90年以上前の『蟹工船』の時代と違って、現代では搾取と被搾取の関係、差別の構図がより複雑さを増していて、小説の中であっても悪者の追及は容易ではないだろう。犯人である悪者を探してみたところで、見つからないという可能性もある。だから、搾取をしている主体は「中央」という漠然とした存在にせざるを得なかったのではないか。そんな状況だからこそ、だれか悪者を罰する代わりに、東北国の独立という突飛な発想によって日本の社会システムそのものを全否定しないと、作者としてはやりきれなかったのかもしれない。
posted by Junichi Chiba at 20:42| 日記