6月上旬だというのに、東京では真夏日(最高気温30度以上の日)が3日続いた。6月を飛び越して7月が来たかのような天候だ。梅雨入り前でまだ暑さに慣れていないうちに、一気にここまで暑くなると、体に負担がかかる。外で会った人が「異常気象だ」と言っていた。同感である。この時期にこんなに暑いのは「異常」だ。
しかし、涼しい部屋に戻って少し考えた。その人はもう何年も前から、猛暑のときも大雨のときも「異常気象だ」と言っているような気がする。そのたびに同意はするものの、簡単に「異常」と認めてよいのだろうか。なぜなら、ある種の気象イベントが恒例になってしまえば、それはもう異常ではないからだ。人の記憶にあることが繰り返されているなら、それは通常のことではないか。
そんなへそ曲がりなことを考えていたら、もう一つの考えが浮かんできた。そもそも気象に正常も異常もないのではないか――。例えば恐竜が生息していた時代には地球の平均気温は今より10度以上高く、逆に、何億年前だかスノーボール・アースの時代には平均気温は氷点下40度だったと聞いたことがある。地球の環境は46億年の間、絶えず変化してきたのだ。「正常な気象」は人間の都合でしかありえない。
とはいえ、再び外に出て、アスファルトの照り返しの中、坂道を登っていると、この暑さは「異常だ」と思ってしまう。地球にとって5度や10度の変化はささいなことであっても、やはり生物にとっては死活問題なのだ。しょせん自然相手に勝ち目はなく、人間は自分にとって不快な現象を「異常」と名づけてやり過ごすくらいしかできることはない。異常気象の異常は「まれな」というより「ひどい」という意味である。頭よりも体が言葉の意味を思い出させてくれることがある。
【日記の最新記事】