2020年04月21日

「ナウシカ」の余韻は疑問形

宮崎駿の漫画『風の谷のナウシカ』全7巻を読み終えて3週間たつが、いまだに余韻が残っている。特に印象深いのは、「旧人類」の計画が生んだ「墓所の主」と主人公ナウシカがやり合うラストシーンだ。これは、光と闇が入れ替わっているものの、映画「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」で、レイとパルパティーンがやり合うシーンとも重なって、頭から離れない。

墓所の主「お前は危険な闇だ 生命は光だ」
ナウシカ「ちがう いのちは闇の中のまたたく光だ 
     すべては闇から生まれ闇に帰る
     お前たちも闇に帰るが良い」

結局、ナウシカは、汚れた世界を清浄な世界に作り替えようとする「旧人類」の計画をためらいもなく破壊する。巨神兵の活躍もあって痛快な場面なのだが、同時にというか、少し遅れて、ナウシカのこの行動は正しかったのか、これはハッピーエンドだったのか、という疑問も頭に浮かんでしまう。たしかにナウシカは無私無欲ではあるが、深い考えがあるわけではなく、たまたま巨神兵という最終兵器を手に入れた興奮状態のまま行動しているようにも見えるのだ。

マスクがなければ生きていけないような汚れた世界が「善」なのか。清浄な世界を取り戻そうとする「旧人類」の計画は悪なのか。人間離れした能力はあるものの社会的なコミュニケーション能力が欠如しているナウシカのような人物が独断で、というか直感で人類の未来を決めてしまってよいのか。そうした、さまざまな疑問が次々と湧いてくる。

もし、巨神兵を手に入れたのがナウシカではなく、もともと巨神兵をさがしていたトルメキア王国の皇女クシャナだったとしたら、こうしたラストシーンは生まれただろうか。クシャナは終始、冷静な人物として描かれている。幼いころから王位継承のライバルである兄弟たちとの血みどろの争いに巻き込まれているため、政治的なセンスも磨かれている。しかし、冷静であるからこそ、直感の勝負で「墓所の主」を倒すことはできなかったのではないか。

クシャナにはリーダーの資質はあるとしても、考えるよりも先に手が動くようなリーダーキラーのナウシカでなければ、「墓所の主」をたたき、「旧人類」の未来の希望をつぶすという行動はできなかったはずだ。だからこそ、ナウシカの行動は正しかったのかという疑問が寄せては返す波のように繰り返されるのである。
posted by Junichi Chiba at 20:08| 日記