
新型コロナウイルスの感染拡大によって東京都が外出自粛を求めた週末、自宅にこもって宮崎駿の漫画『風の谷のナウシカ』全7巻を二十数年ぶりに読んだ(昔はバラバラに読んだから、一気読みは初めてだった)。産業文明の崩壊から1000年後、主人公の少女ナウシカが世界の秘密を知るために旅をする物語である。ウイルスの感染拡大で気分が沈みがちなときに、この重苦しい漫画を7冊読み終わると、身も心もくたくたであった。
論語に「怪力乱神を語らず」という言葉があるが、漫画版のナウシカは「怪力乱神」だらけである。映画版はかなりディズニー寄りだが、漫画版には映画版のような軽やかさや明るさがない。廃墟、略奪、黒い森と穢れの民――。ねばねばの粘菌やら、ドロドロに腐った肉やらも頻出し、さわやかという言葉からはほど遠い。欲望も戦いも否定しないナウシカはむしろダークサイドのヒロインだ(巨神兵の母でもある)。
改めて7巻を通して読むと、正直、若いころは全体像をつかめていなかっただけでなく、重要な細部もかなり読み落としていたことがわかった。たとえば、土鬼(ドルク)という帝国の皇兄ナムリスは物語の展開に大きな影響を与えるキャラクターであると気がついた。第5巻の初め、ナムリスが皇弟に向かって発するセリフは印象深い。
「俺のおそれることはただひとつ この血を一度もたぎらせることなく終わることだ」
「管だらけになっても不死を願うお前とちがい 俺には帝国も死もどうでもいい」
このセリフには、宮崎駿の本音が表れているのではないだろうか。人工の生命であろうと自然の生命であろうと、生きようとして生きているものが生物であるという考え方だ。ナムリスは残酷で欲望のままにふるまい、一見、単純なキャラクターだが、「墓の主」や死者に奉仕するくらいなら死んだ方がましだと言わんばかりの態度が大きな問いを投げかける。それは、そもそもコントロールできないものが生物なのではないか、という問いだ。
こうした脇のキャラクターや細部が読めてくると、生命とは何かというテーマがはっきりと浮かび上がってくる。第7巻の終盤、ナウシカは「清浄と汚濁こそ生命だ」と主張し、ナムリスを上回る形で血をたぎらせるが、そうした狂気じみたシーンを違和感なく読めるのが、この作品の大きな魅力だ。読み終わった瞬間、何年かの時間をおいてもう一度読みたいと思わせる漫画である。
【日記の最新記事】