2020年02月08日

科学とアート

Madoka Chiba Utopia.JPG
ギャラリー・オフグリッド(福島市)の千葉麻十佳展(2019年11月8日〜20年1月31日)最終日に、田尾陽一NPO法人ふくしま再生の会理事長と千葉麻十佳の対談があった。田尾氏は福島県飯舘村で放射線測定や農業再生などに取り組むNPOの代表であり、元物理学研究者である。対談は展覧会のテーマである「光」や千葉の作品についての話が中心だったが、私にとっては田尾氏の次の一言が印象深かった。

「原子力発電はウランの質量をエネルギーに変えている。それによってウランの質量は減る。しかし、なぜ質量が減るのかわからない」

「ウランの核分裂では、質量をエネルギーに変換するから、ウランの質量は減る」という話は何度も聞いているが、ピンときたことがない。質量がエネルギーに変わると言われても、イメージがわかなかいのだ。理屈自体もよく呑み込めず、この説に納得するかどうかは、神を信じるか信じないかの問題のように思えてしまう。そんな私から見れば、この説を完全に理解している人は別の世界の住人だ。

それだけに、物理学者が「なぜ質量が減るのかわからない」と話すのは新鮮であった。田尾氏は、質量はエネルギーと等価であるというアインシュタインの特殊相対性理論に触れていたから、なぜウランの質量が減るのか、一応の説明はできるはずだ。しかし通り一遍の説明をする代わりに、「わからない」と、おっしゃった。「わからない」とはどういう意味なのか、わからないところがまた興味深いのだ。

物理は魔術ではないかと思うような話に出会うことがときどきある。例えば最近話題の量子コンピューターに関連して、量子力学の思考実験として出てくる「シュレーディンガーの猫」の話。箱の中にいて見えない猫は生きていて、かつ死んでいる――。生きていて死んでいるというのは(スター・ウォーズの)パルパティーン皇帝みたいなもので、特殊相対性理論どころではない奇妙な説なのだが、これが成り立つらしい。

もし、こうした奇妙な説を直感的に納得させることができるとすれば、それはアートの領域だ。ただし、科学をテーマにしている限り、知識を正確に伝えることが前提であり、アートであれば不正確な表現が許されるというわけではない。対談の中で千葉は「(太陽光以外に)ガンマ線にも興味はあるが、(直感で表現して)間違えると責任重大だから軽々には扱えない」と話していた。科学者とは責任の範囲が違うとはいえ、無視できない点である。

画像は千葉麻十佳「Utopia」(2019年、LEDライト、粟、シャーレ、ポリマー)。
posted by Junichi Chiba at 20:16| アート