2019年12月30日

「恋する惑星」と飛行機

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四半世紀前、ウォン・カーウァイ監督の映画「恋する惑星」(原題:重慶森林、1994年)を初めて見たときに、アジアにもこんなスタイリッシュな映画があるのかと、新鮮な印象を受けた。中国への返還まであと3年という微妙な時期の香港を舞台に、若い男女のすれ違いと独特の都会的な雰囲気を描いた作品だ。今も作品の印象は変わっていない。ただ、この映画に関しては長年、ある疑問を抱いていた。今年、香港のデモ隊が空港を占拠した映像を目にしたとき、その疑問が解消された気がした。

私が抱いていた疑問は、「恋する惑星」の中で、主人公の警官(トニー・レオン)と、彼に恋する飲食店員のフェイ(フェイ・ウォン)がミニチュア飛行機で遊ぶシーンが頻繁に出てくることだった。ミニチュア飛行機のシーンばかりでなく、本物の飛行機が空を飛ぶカットもあり、飛行機の出現頻度がかなり高いのである。これについて私は、返還で失われるかもしれない自由をいとおしむ意味があるのだろうと、ひとまず解釈していた。この解釈には自信がないから、疑問が残ったままだった。

しかし今年夏、デモ隊が空港の入口付近で警官隊と衝突した場面をテレビで見たとき、ある仮説が浮かんできた。それは、ウォン・カーウァイは香港という街全体を空港としてとらえていたのではないか、というものだ。これは直感的なものであって、たいして論理的ではない。とはいえ、そう考えると、ミニチュア飛行機で遊ぶシーンや「別の飛行機の着陸に備えて(部屋を)大掃除をした」といったセリフが納得できるのである。

香港の本質は空港あるいはトランスファー(乗り継ぎ)の中継地なのではないか。映画のラストで、フェイはトニーに「どこ行きたい?」と聞き、トニーは「君の行きたいところへ」と答える。25年前には甘ったるいセリフだなと思ったが、このセリフは香港の街角だからこそ輝いてくる。どこかへ行きたい人が立ち寄り、時間を過ごすところが香港なのだ。
posted by Junichi Chiba at 18:55| 日記