2019年12月15日

ファーウェイと李白

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今年一番注目した企業は中国の通信機器大手、華為技術(ファーウェイ)である。1月初め、郭平輪番会長の年頭所感を読んだのがきっかけだった。郭会長は「風に乗り波をかき分けられるようになる時が必ずやってくる」という李白の詩で所感を締めくくっていた。もちろん日本企業のトップも年頭所感を発表するが、古典から言葉を引いているのを見たことがない。ハイテク企業のトップが古典文学の力を借りているのが私には興味深かった。

同会長が引用したのは、李白の「行路難」の一部である。原詩は「長風破浪會有時」。読み下せば「長風浪を破るにかならず時有り」。原詩ではこの後、「直挂雲帆濟滄海(直ちに雲帆をかけて滄海をわたらん)」と続く。「行路難し」というタイトルでありながら威勢がよく、従業員の士気を鼓舞するのにふさわしい。

そして、この詩を含む年頭所感が、ただの「あいさつ」にとどまらないのが同社のすさまじいところだ。米国のトランプ政権がファーウェイを目の敵にして圧力をかける中、同社の今年1〜9月期の売上高は6108億元(約9兆3500億円)に達した。前年同期比で24%も増加し、日本の大手企業がまったく追いつけないスピードで成長を続けている。郭会長の年頭所感のタイトルは「苦難なくして、栄光は果たせない」。その言葉通り、米国が圧力をかければかけるほど、同社は強くなっている。

こうした状況をみて、一つの仮説が頭に浮かんだ。――中国にあって米国にはないもの、それは文学、思想、歴史の古典である。李白や杜甫の詩、『論語』『史記』などは中国の文化力のかたまりだ。それらは経営者にとって、強烈な意志を伝え仲間を統合するためのソフトウエアでもある。このソフトウエアが厳しい局面で効果を発揮しているのではないか。だとすれば日本企業もファーウェイにならい、古典を活用すればよい。

しかし、ここまで考えたところで、この仮説はあっさり行き詰まってしまった。中国古典文学者の田口暢穗鶴見大学名誉教授と話す機会があり、あることに気がついたからだ。日本企業のトップは教養がないから古典の言葉を引用しないのではなく、そもそも引用できるような古典が日本にはないのである。おそらく多くの人にとってこれは盲点であり、引用しようと思わなければ気がつかないことかもしれない。

たとえば「祇園精舍の鐘の声」という書き出しで知られる『平家物語』のベースにあるのは仏教の無常観だ。「たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」といった調子では従業員を勇気づけることはできない。『平家物語』でなくても、「ほろび」や「あはれ」の思想で士気を鼓舞するのは難しい。日本の古典は企業との相性という点で、中国の古典とは異なっている。古典がないという点で、日本の立場は米国に近い。
posted by Junichi Chiba at 23:22| 日記