2019年11月23日

10年たって読めた本

たった独りの引き揚げ隊.jpg
長いこと読もう、読もうと思っていたが、読めずにいた本があった。石村博子著『たった独りの引き揚げ隊』だ。新刊として出たときに入手した本がどこかへ行ってしまい、文庫化されていたことも知らず、気がついたら10年がたっていた。読む気があったのかと言われても仕方がないが、このほど本(角川文庫)を買い直し、10年越しで読むことができた。そして、これがめちゃくちゃ面白かった。

1946年の秋、家族と離れた10歳の少年がわずかな食糧を持って満洲の広野を1000キロ踏破し、日本へと引き揚げる。その様子を記したノンフィクションだ。ストーリーはいたってシンプルで、困難を次から次へと乗り越えていく少年のたくましさが読みどころである。脚色があるのかもしれないが、一つ一つのエピソードもリアルで魅力的だ。

例えば民家から上る煙で民族を見分ける話。<遠くからでもまず目に入るのは、家から立ち上る煙だよね。煙の具合でロシア人がいるかどうかを判断するんだよ。独特の重たい感じの煙なら、牛糞や馬糞を燃料にしている中国人の家のもの。軽くてまっすぐ立っているものなら、白樺や石炭を燃やしているロシア人の家のもの。ロシア人は毎日かまどでパンを焼くから、住んでいたら必ずかまどの煙があがるんだ>

これは60年以上前の出来事を本人に語らせた記述だが、命がけで見れば煙の重さまで見分けがつくということに感心せざるを得ない。これから何度もこの本を読み直すことになるだろうと、今は思っている。

そもそも10年も読まなかった本をなぜ今読んだかといえば、昨年、文庫が再販された安部公房著『けものたちは故郷をめざす』(新潮文庫)と読み比べたかったからだ。名作として知られる『けものたち―』もまた、満洲に取り残された少年が独りで日本へ引き揚げる話である。小説とノンフィクションの違いはあるものの、ともに終戦直後の満洲を舞台にした冒険物語だ。しかし『けものたち―』には終始、暗い緊張感が漂っているのに対し、『たった独りの―』は明るさを失うことがない。

この本の中で一番好きなのは、極限状態に置かれた少年が赤茶けた大地を独りで歩き始める場面だ。

 違う世界に足を踏み入れたように思えた。守ってくれる人は誰もいない。
 吹く風が「どうする、どうする」と言うように、シャツの裾をバタバタとまくった。迷うことなどあるだろうか。
「行くところまで行こう。そうすりゃ何とかなるさ」

悲劇的なメロディーでも和音を変えれば明るく聴こえるということだろうか。著者の筆にも迷いがない。
posted by Junichi Chiba at 18:54| 日記