2019年05月20日

作品の外側の重要性

MIHO MUSEUM.jpg
MIHO MUSEUM(甲賀市)で、京都・大徳寺龍光院所蔵の曜変天目を拝見した。大阪の藤田美術館所蔵品と東京の静嘉堂文庫美術館所蔵品は以前見ているから、これで曜変天目の「三碗制覇」だ。曜変天目は南宋時代に中国の建窯で焼かれた黒釉茶碗で、渡った先の日本に三碗だけが現存している。それぞれの作者は無関係なのかもしれないが、頭の中で3つを並べると、互いに補い合っているように見えて興味深い。

大徳寺龍光院の碗は銀色の斑文の周りの青が弱く、静かな印象だ。はっきり言って「宇宙」だけでなく、「死」のイメージを感じる。三碗のうち最もきらびやかなのは静嘉堂文庫のもので、一番宇宙を感じさせるのは藤田美術館のものだ。それぞれ火の中の化学反応で偶然生じた模様が見どころなのだが、人間が作ったものであるからには、作者の何らかの意志が働いているのではないかという気がする。

その曜変天目を見るための行列に並んで思ったのは、やはり芸術作品それ自体の中に永遠の価値があるのではなく、作品の外側に重要性があるということだ。作者はこの碗をつくるためにどのような試練を乗り越えたのか、それを日本に運んだ人はどのような困難を克服したのか、あるいは茶会でこの碗に関わった人たちはどのような人間関係を築いたのか――。そんなことを想像させてしまうところにも作品の価値がある。

室町時代や江戸時代の茶人であっても、現存する曜変天目を3つとも見た人がいただろうか。3つ見比べるというのは、現代ならではのぜいたくな見方のはずだ。碗の鉱物的な輝きをめでるのにとどまらず、歴史を踏まえた見方をできるからこそ芸術作品といえる。

MIHO MUSEUMで曜変天目を見て間もなく、同館を設計した建築家、イオ・ミン・ペイが亡くなった。そのニュースを聞いたときにはなぜか、その曜変天目が頭に浮かんだ。
posted by Junichi Chiba at 22:22| アート