2019年02月27日

虚栄心

Tokyo Tower.jpg
パークホテル東京で開かれるアートフェアのプレイベント、PREVIEW AiPHT(2月18日〜3月10日)に浅野綾花の作品6点を搬入した。展示場所は同ホテル25階の客室行きエレベーターの周り。窓の外の夜景を横目で見ながら、10層分の吹き抜けのロビーを通ってエレベーターに向かうと、それだけで気分が上がる。高級なホテルは「生活」を抜け出す場所であるだけに、虚栄心が肯定されやすい。

そもそもアートフェアは、アーティストやギャラリストの虚栄心がぶつかり合うところだ。虚栄心がないように見せかけることも虚栄心の表れである。よりよく見せたいという感情の衝突によって熱量が上がり、そこにあるアートの存在感も高まっていく。これは現場で何度も経験してきたことだ。ただし、あり過ぎると展示が暴走してしまう。

そんなことも意識しながら深夜に展示を終えた。浅野の作品自体はいつも通りである。例えばエレベーター前に飾った「君と紅茶の季節」のモチーフは、故郷の静岡でいつも親切にしてくれる女性の顔と、彼女からもらった紅茶の袋だ。日常の素材を使って、記憶に伴う心情をカジュアルな雰囲気とともに伝える作品である。人目をひく華やかさや流行の要素はなく、一見、虚栄心とはほど遠い作品のように見えるかもしれない。

Preview AiPHT 2019 Ayaka Asano.jpg
しかし、そう見えるということと、そうであることは別である。これは技法とも関係している。エッチングの技法で版画を制作するにはそれなりの設備と時間が必要で、計画なしの制作はありえない。コラージュを加えるならなおさらである。やり直しができないだけに、最初からコラージュの素材もインクの色も、記憶を含む内面も周到に選び取っているはずだ。表現に合わせて内面を作ることもあるのではないかと、私は推測している。

もしそうだとしたら、その「内面」は虚栄心そのものである。何しろそれは人に見せるための心情であり、真の虚栄心とでも呼びたいものだ。ではなぜ作家は虚栄心=作られた内面を生み出してまで表現するのかといえば、それは作品を成立させるためだろう。内面を表現するのではなく、表現のために内面を作るのがアーティストなのだ。深夜に作業をするとつい、こんな余計なことを考えてしまう。下の画像の右が「君と紅茶の季節」(銅版画、シンコレ)。
posted by Junichi Chiba at 20:02| アート