2018年11月25日

安部公房が予言した未来

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「大体電子計算機というものは、もともとある種の予報能力は持っているものなんだ。問題は、機械そのものよりも、それを使いこなす技術でね。プログラミング……つまり、機械に分る言葉で問題をつくってやる仕事だが、これがむつかしい。今までの機械では、どうしても人間がやらなけりゃならなかったんだ。しかし、モスクワ一号というやつは、このプログラミングを、どうやらかなりの段階まで自分でやれる機械らしいね」

安部公房のSF小説『第四間氷期』には、AI(人工知能)を思わせる「予言機械」が登場する。人間がデータを与えれば未来の予測ができる万能の機械だ。英国出身のSF作家、アーサー・C・クラークがAIを予見したのは1968年だが、安部公房が『第四間氷期』を発表したのは、それより10年早い1958年。今から60年も前のことだった。

これだけでも驚きである。しかし、この小説は、テクノロジーの進歩を先取りしていました、というだけの作品ではない。小説の主人公はこんなことを言っている。「予言を独占しようとするくらい、危険な思想はないんだ。それはいつも、私が口をすっぱくして注意してきたはずじゃないか。それこそファッショだよ。為政者に、神の力を与えてしまうようなものだ」。そして主人公は自ら予言機械を重視するあまり、機械に予言された未来にとらわれ、行動が狂い出す。

小説ではソ連と米国が予言機械の開発を競っているが、60年後の今は米国と中国がAIの開発にしのぎを削っている。大国が覇権を争い、日本がはざまで右往左往する構図は同じだ。そしてこれもまた小説と同じく、テクノロジーが何をもたらすのかということよりも、どこかの国や企業にテクノロジーを独占されるのではないか、自分たちが出遅れているのではないか、という不安や焦りが現実の行動に影響を与えている。2018年からの視点で『第四間氷期』を読み直せば、未来を想像することで複雑な化学反応に巻き込まれ、「未来」に押しつぶされる人間の姿が見えてくる。

『第四間氷期』に限らず、『砂の女』にしろ『燃えつきた地図』にしろ、安部公房の作品には再読の醍醐味がある。半世紀前の「未来」が現実に変わったときに、安部公房の作品は一段と評価されるのではないか。
タグ:安部公房
posted by Junichi Chiba at 23:04| 日記