2018年04月22日

フラット化圧力

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橘画廊は4月20日限りで、3331 Arts Chiyoda(東京・千代田)から撤退した。2年の契約期間が過ぎ、契約を更新しなかった。この2年間、いろいろなことがあったが、一番印象に残ったのは2016年10月、千葉麻十佳展「The Melting Point; 石がゆらぐとき」に来られた年配の女性の「こういうの嫌い」「こういうの見ると、取り残された気分になる」という言葉であった。

その展覧会は千葉麻十佳の東京での初個展で、千葉はアイスランドやドイツの岩石を太陽光で溶かした作品と、溶かす過程を撮影した写真の作品を展示していた。いわゆるコンセプチュアルアートである。「わかりにくい」と言われるのは無理もないのだが、アート関係者ではない一人の女性が発した「とりのこされた」という七音は妙に耳に残ってしまった。

もちろんアーティストはだれかを取り残そうと思って制作しているわけではない。類型的な表現から離れようとしているだけである。コンセプチュアルだから科学的な思考に終始しているかというと、そうではなく、千葉麻十佳の作品などは、もとはマグマだった岩石をマグマに戻すことによって生々流転を表し、むしろ仏教的な世界観とも重なっている。

しかし千葉麻十佳の作品を見て「取り残された」と感じる人の気持ちも今ならわかる。たとえどんな内容であれ、目の前に理解しがたいものがあって、それに感心している人がいるという状況は心地よくないからだ。大衆文化と一線を画そうとするアーティストの振る舞いも気に入らないかもしれない。2016年10月、3331では文化庁メディア芸術祭20周年企画展が開かれていたこともあって、千葉麻十佳展には4週間で1000人近くがお越しになった。これだけ多くの方が来れば、さまざまな反応があって当然であった。

その後も、3331で大きなサブカル系のイベントが開かれたときなどに同様のことを感じることがあった。イベント目当てで3331に来場し、ついでにギャラリーに立ち寄る方と、新しい表現を求めるネイティブの(?)アートファンは宗教が違うかのように考え方が違っていて、前者に疎外感をもたらしてしまいがちだ。そして何かの拍子に反感が強まると、大衆的な引き下げ圧力に転化することもある。大阪にいたときは、ギャラリーに来られるのは限定少数の方であったから、そうしたことはあまり気にすることがなかった。

2年前のブログで、3331には成長過程にあるギャラリーとアーティストが一緒に成長できる環境があるといった意味のことを書いたが、その判断は間違っていた。公的なにおいが強いところほど価値判断の基準は大衆に近づいていく。3331のように不特定多数の来場者がある施設では、フラット化圧力などものともしない強い基盤を持たなければやっていくのは難しいと、今さらながら感じている。

posted by Junichi Chiba at 23:04| アート