2017年08月23日

ダン・フレイヴィンとカステリ

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東京・表参道にあるエスパス ルイ・ヴィトン東京で、米国の美術家、ダン・フレイヴィン(1933〜96年)の展覧会(9月3日まで)を見た。会期中、2回目である。前回は昼間、今回は日が暮れた後に訪れた。フレイヴィンは蛍光灯を使った作品で知られるが、ここのガラス張りの展示室では、自然光の有無、強弱によって作品の見え方が変わるのが面白かった。

実はフレイヴィンには以前から少し興味があった。ミニマリズムを代表する作家として、というよりも、ニューヨークの有名ギャラリスト、レオ・カステリ(07〜99年)と彼の右腕だったアイヴァン・カープ(26〜2012年)の仲たがいの原因をつくった作家としてである。その仲たがいの経緯として、私が知っていたのは大体以下のような話だ。

1967年、カステリとカープはニューヨークのコーンブリー・ギャラリー(桑山忠明もここで個展を開いている)で、フレイヴィンの展覧会を見た。そのときは2人とも、彼の作品の価値をたいして認めていなかった。ところが1年後、カステリはフレイヴィンの展覧会を開きたいと言い出した。カープはそれに反対し、どうしても展覧会を開くなら自分はギャラリーをやめると言った。結局、これをきっかけにカープはカステリから離れていった(カープは69年、O・K・ハリス・ギャラリーをつくった)。

なぜカステリはたった1年で、フレイヴィンに対する評価を変えたのだろうと、前から思っていたが、エスパス ルイ・ヴィトンで手にしたリーフレットにそのヒントがあった。それは「Untitled」(1963年)という作品の解説のところに書かれている。「緑はピンク、黄、そして青と並んで、フレイヴィンが独自に定めた色のパンフレットを構成する4つの原色のうちの1つです。(中略)緑は彼が1966年にモンドリアンへの賛辞として制作した作品『緑と交差する緑(緑が欠けていたピエト・モンドリアンへ)』でも主に採り上げています」

どの作品がきっかけだったのかはわからないが、カステリは、フレイヴィンがモンドリアンの影響を受けていることに気がついた。そして巨匠モンドリアンを源流とするミニマリズムが美術史上、重視されるときが来るという予想を立てたのではないだろうか。つまりカステリは創造性を評価したというよりも、歴史との関連を評価して「これは行ける」と踏んだのである(もちろん推測)。50年たった今から見れば、カステリの判断は正しかったと言えるが、当時のカープは(ポップアートを売り出していた)カステリがポップでもないフレイヴィンを扱おうとした動機を疑い、反発したのではないかと思えてくる。
posted by Junichi Chiba at 23:55| アート