2016年04月07日

大阪で5年間

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橘画廊株式会社が6期目に入った。2011年5月の設立の日から数えても、ほぼ5年がたった。ニューヨークではギャラリーの95%は5年たたないうちに店を閉めるという話を聞いたことがある。米国人は見切りが早いということもあるだろうが、日本でもこの数字はたいして変わらないかもしれない。そう考えると、よく5年も続いたものだ。5年たって、アートフェア東京への応募条件もクリアした。

橘画廊が入居している大阪陶磁器会館には2010年まで、信濃橋画廊という老舗の貸画廊が入居していた。今だから言えるが、2011年の春、同会館には橘画廊ではなく別の団体が入居する話があった。不動産業界の用語でいえば、その団体が一番手であり、橘画廊は二番手だった。大家さんの担当の方と会った後、しばらく何の連絡もなかったので、こちらにとって、もう話はなくなったと思っていた。

3週間ほどたったとき、結論だけ確かめておこうと思い、大家さんに電話したら「90%決まった」という話だった。それを聞いて、大阪陶磁器会館は選択肢から消えた。ところが、その2時間後、先方から電話がかかってきて、「情勢が変わった」と言われた。何がどう変わったのかわからず、あまりの豹変に戸惑いもあったが、結局、少し考えた後に同会館への入居を決めた。一から壁を作らずに済むというのが大きな理由だった(当時、東日本大震災の直後で、資材の調達が困難だった)。

大阪陶磁器会館に入居した翌日、何年ぶりかに嶋本昭三さんのご自宅に電話したら、たまたま本人が電話口に出てこられた。「大阪でギャラリーを開くから展覧会をしてほしい」とお願いすると、場所も聞かずに「やりましょう」とおっしゃって、オープニングに嶋本昭三展を開くことが決まった。そのときはイタリアの団体が権利関係の管理をしているとは知らず、あとで少しばかり苦労したのだが。

橘画廊は5月、契約期間満了を機に大阪陶磁器会館から退去する。この場所だからこそ5年間続いたといえるかもしれないが、一方で、長いこと同じところにいると、さまざまな関係が硬直化しやすいと感じている。一つの場所で生まれた絆をゆるやかにつなぎつつ、ギャラリーにもアーティストにも新鮮な情報を入れることが必要だ。建物だって、そのときそのときで、より有効に使える人が使えばよいと思う。
posted by Junichi Chiba at 11:33| アート