
歌川広重85度、谷文晁84度、田中加織65度――。絵に描いた富士の頂角である。太宰治『富嶽百景』の冒頭に、「広重、文晁に限らず、たいていの絵の富士は、鋭角である」という話があって、「北斎にいたっては、その頂角、ほとんど三十度くらい、エッフェル鉄塔のような富士をさえ描いている」と指摘されている。平成の画家、田中の描く富士山は頂点付近に限られてはいるが、広重よりは鋭角と言ってよいだろう(ただし田中作品の場合、フォルムが丸みを帯びているため、さほど鋭角に見えない)。
『富嶽百景』の文章を借りれば、「実際の富士は、鈍角も鈍角、のろくさと拡がり、東西、百二十四度、南北は百十七度、決して、秀抜の、すらと高い山ではない」。それなのに北斎から田中加織まで、絵師たちが富士を鋭角に描くのはなぜだろうか。日本人にとっては改めて問うまでもないことなのかもしれないが。
9月22日、グループ展「感じる風景」のアーティストの座談会で、田中は「私自身が美しいと思うものではなく、見る人が美しいと思うだろうものを描いている」と言っていた。「ほんとうのものを描きたい」と言った河合美和とは一見、対照的なのだが、田中は田中で「ほんとうのもの」を描いているはずだ。風景が美的規範に基づいて構築されているとすれば、彼女の場合、その規範を世間の意識に求めているのだろう。
ちなみに太宰治は富士が嫌いだったわけではなさそうだ。『富嶽百景』ではこうも書いている。「私は、足のないような気持で、夜道を、まっすぐに歩いた。下駄の音だけが、自分のものでないように、他の生きもののように、からんころんからんころん、とても澄んで響く。そっと、振りむくと、富士がある。青く燃えて空に浮んでいる。私は溜息をつく。維新の志士。鞍馬天狗。私は、自分を、それだと思った」。まさに象徴としての富士である。画像は田中加織「富士雲海 No.2015. 8」(油彩、カンバス、22.5×22.5センチ)。
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