2015年05月10日

記憶は変化する

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今月、橘画廊で個展を開く韓国のアーティスト、キム・チャンギョムは映像を用いたインスタレーションなどを制作している。メーンのテーマは記憶だ。そこでキムの話についていけるように、ゴールデンウイークの間、記憶とは何か、読書で予習した。すると、知れば知るほど記憶の面白さがわかってきた。

まず記憶は脳に貯蔵されていない。これについては生物学者、福岡伸一の示唆がわかりやすい。「ほんの数日で分解されてしまう生体分子を素子として、その上にメモリーを書き込むことなど原理的に不可能」「記憶物質は見つかっていないのではなく、存在しようがない」(福岡伸一『動的平衡』)という指摘だ。このことは脳をコンピューターにたとえる、ありきたりなメタファーの限界も示している。つまり人間の記憶はコンピューターの記憶装置に書き込まれているようなものとは違う。

では、記憶はどこに存在しているのか。心理学者のルイーズ・バレットによると、記憶は身体、環境に分散している。分散していると言われても、「はい、そうですか」と、すぐには納得し難いが、そうだとすれば(バレットはそうだと言っているが)身体も環境も変化するので記憶は思い出すたびに変化していく。福岡も記憶について「想起した瞬間につくり出されている何ものか」であると言っている。

人間は記憶があるからこそ自己を認識できるはずだが、認識のベースである記憶が変化しているのだとすれば、自己の認識はいつも流動的ということになる。キムとのメールでの打ち合わせの段階で、彼は「記憶は断片的で不完全である」と書いていたから、そうしたことを知っているかもしれない。どのような「記憶観」を基に映像を制作しているのか、その点への興味は一段と高まった。画像はキム・チャンギョムの映像作品「water shadow in dish」。(続く)
posted by Junichi Chiba at 19:00| アート