ボクシング映画を観るのが好きだ。当たりはずれがあるので、平均すると満足度は必ずしも高くないが、最近観た「ケイコ 目を澄ませて」(三宅唱監督)はジムの匂いまで伝えるような絵画的な陰影が魅力的で楽しめた。16ミリフィルムでこれほど繊細な表現ができるのかという意外感もあった。デジタルで撮影すると、照明に手間をかけない分、白や黒の部分がかえって平板になってしまったのかもしれない。
ボクシング映画では、練習や試合のシーンだけでなく、ボクサーの生活の場面にも興味をそそられる。たいていのボクサーはプロであってもボクシングだけでは食べていけないから、ボクシング以外に仕事を持っていて、日常生活の中で闘いが始まっているからだ。若いころのロッキーは取り立て屋、「ミリオンダラー・ベイビー」のマギーはウエイトレスだったが、「ケイコ」の主人公(岸井ゆきの)はホテルの客室清掃員である。
もう何十年も前のことだが、沢木耕太郎のノンフィクション『一瞬の夏』を読んで、プロボクサーの暮らしぶりに驚いたことがあった。元東洋ミドル級チャンピオンのカシアス内藤が再起を期し、東洋王座をかけた試合に向けてソウルに出発するその日の朝まで仕事をしていたというのだ。このノンフィクションによると、カシアス内藤は、生まれてくる子どものために安定した収入を必要としていて、トレーナーが仕事を休めと言っても聞く耳を持たなかった。このエピソードがプロボクサーの厳しさを物語っていた。
そうした環境はいまも変わっていないだろう。ボクサーは世界チャンピオンになれば高い収入を得る道が開けるし、所属ジムも潤うが、そうでなければ食べていくのも容易ではない。一蓮托生、勝てば天国、負ければ地獄。ジムとボクサーの関係はギャラリーとアーティストの関係と似ていると、つくづく思う。
ケイコはホテルの同僚に、「仕事とボクシングを両立させるなんてすごい」と言われる。しかし、ふとしたことからバランスを崩し、精神的に追い詰められていく様子は見ていて痛々しい。何のためにリングに上がって闘うのか。考えれば考えるほど、足がすくんでしまう。では、どうすればよいのか。監督は登場人物には何も語らせないが、言いたいことは映像から伝わってきた。人はテーマありきで闘うのではない。闘い続けていれば、テーマは後からついてくるのだ。